ポルシェ乗りが、白洲次郎に惹かれる理由を考察してみた

わが家のカーライフ

男、白洲次郎

学生の頃から日本史が大好きだったという夫は、明治維新あたりの人物のことも大好きで、ツーリングがてら吉田松陰の松下村塾跡を一人で見に行ったり、坂本龍馬の銅像のある高知県の桂浜に行ったりしている。

実は私も、明治維新あたりの話や司馬遼太郎の小説が結構好きなので、夫と初めて2人で食事に行った時、居酒屋で終始歴史の偉人の話ばっかりしていたのを覚えている。(ロマンチックのかけらもないな笑)

そんな夫が、昭和を生きた人物の中で特に好きなのが、”白洲次郎“だ。白洲次郎とは、戦後GHQ占領下の日本において、吉田茂の側近として活躍した人物として知られている。日本国憲法の成立にも深く関わり、東北電力の会長など多くの企業の役員を歴任した実業家でもあり、大のクルマ好き、ポルシェ好きでもある。


*画像出典:「かつて日本は美しかった」

夫はよく「僕が死んだら、葬式不要、戒名無用でええからな」と言っており、当然ながら、旧白洲次郎邸の『武相荘』へも足を運んでいるw

私は、”白洲次郎“という名前だけは知っていたけれど、実際は何をした人なのか全く知らなかった。白洲次郎のことをちゃんと知ったのは、数年前にやっていたNHKのスペシャルドラマ「白洲次郎」の再放送(伊勢谷友介とが主演だった)がきっかけだ。

そのドラマを見た時に「白洲次郎ってとんでもなくかっこいい人だなー!」と思った。

ポルシェ乗りの謎

夫は以前から、

「ポルシェ乗りの人って、白洲次郎好きな人が多いんやで」

と言っていた。最初のうちはさほど気にしていなかったが、最近になり、ポルシェオーナーの方のfacebookに「武相荘に行ってきました」とか「お気に入りに白洲次郎の本」が載っていたりするのを見て、次第にこう思うようになった。

ポルシェ乗りの方(特に空冷ポルシェ)は、なぜみんな申し合わせたかのように「白洲次郎ファン」なのだろう

と。「なんでなん?」とある時夫に聞いてみたところ、

「そら、ポルシェをこよなく愛した日本の偉人といえば、白洲次郎やからやろ」

と言っていたが、多くのポルシェ乗りの方が白洲次郎に魅せられる理由は、果たしてそれだけなのだろうか。

白洲次郎に魅せられて

私は白洲次郎についてあまり詳しくないけれど、みんな何となく「白洲次郎の生き方そのもの」に惹かれているような…「これぞ、男が惚れる男」という感覚があるなのかなぁと思い、「ポルシェ乗りの方が白洲次郎に惹かれる理由」を、私なりに考察してみることにした。(自分なりに調べて書いていますが、事実や見解が違うこともあるかもしれません。ご容赦ください)

1 信念を曲げない、こびない

白洲次郎のことを調べると必ず出てくるのが「プリンシプル(信念、原則)」という言葉だ。正子夫人も生前の白洲次郎について「まことにプリンシプル、プリンシプルと毎日うるさいことであった」と振り返っておられるが、白洲次郎はとにかく「信念を貫く生き方」をしていた人のようだ。(以下、次郎と書きます)

そんな次郎は、戦後GHQ側に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたほど。

戦後70年経った今の日本であっても、アメリカにハッキリと「NO」を言うのは容易ではないと思う。それなのに、戦後すぐの頃、敗戦国の日本の立場は相当弱かったはずなのに、GHQに面と向かって「NO」が言えるなんて、本当にすごいことだ。

私はそういうところ根性が無いので、「イエス!イグザクトリー!」ばかり言って完全に向こうの言いなりになってしまうと思うw

また、ゴルフ好きとしても知られる次郎は、晩年は「軽井沢ゴルフクラブの理事長」として、その運営に心血を注いでいた。その頃の有名なエピソードがある。

当時の総理大臣である田中角栄側から「日曜日にアメリカ大使をつれコースをまわりたい」と連絡があったが、「日曜日はメンバーズオンリー」だと言って、次郎はその依頼を断ったのだ。

ここでも白洲次郎の、自分のプリンシプルを曲げない生き方が見てとれる。(後に、田中角栄は軽井沢ゴルフクラブのメンバーになったらしいw)

総理大臣に「原則は原則だ」としてNOが言えるなんて、普通は無理だと思う。私だったら「どうぞどうぞ!何なら貸し切りますんで!」と、媚びへつらってしまうこと間違いなしだw

権力に決して屈しない、こびない、自分の信念をつらぬく生き方は、時代を経てもなお、まぶしいほどにかっこいい。


*画像出典:Amazon「プリンシプルのない日本」

2 肩書や社会的立場にこだわらない

終戦直後、外務大臣に就任した吉田茂のもとで活躍した白洲次郎は、GHQとの交渉の矢面に立って交渉し、戦後処理や日本国憲法の成立に深く関わった。吉田茂が総理大臣となった後も、アメリカに渡り、サンフランシスコ平和条約締結に尽力したそうだ。

その他にも数々の大きな功績を残したことから、周囲は政界入りを強く希望したそうだが、次郎はそれを断り、その後は田舎の自宅で農業をして自給自足の生活をしたり、実業家として活躍したりする人生を送った。

そういえば坂本龍馬も、大政奉還を果たした後、「これからは海外を見て回りたい」と言って、新政府の人事案に自分の名前は連ねなかったらしいけれど、白洲次郎はまるで坂本龍馬の生まれ変わりみたいな人だなぁ。

人は多かれ少なかれ、肩書、地位、社会的立場を意識すると思うし、世間のしがらみに縛られるものだ。白洲次郎は、そんなところにはとらわれない、数少ない日本人。なんとかっこいい生き方だろうか。

3 教養がある

信念を貫くというのは、裏を返せば「頑固でわがまま」だとも言える。でも、白洲次郎はただ単に頑固だったのではなく、「教養」という素地があったからこそ、その生き方は”粋”でかっこいい。

兵庫県の裕福な名家に生まれ、無鉄砲とはいえお育ちがよく、子どもの頃から英語の家庭教師がつき、英語堪能だった白洲次郎。高校卒業後は、イギリスのケンブリッジに留学し、国際教養・国際感覚を身に着けた。

何かの番組かドラマで見た話なのだが、

ケンブリッジのとある授業の試験で、次郎は十分に勉強してのぞみ、完璧な回答を書いたつもりが、その答案の点数がとても低かった。その理由を聞いたところ先生から「君の答案には自分自身の考えが一つもない」と言われた。それ以来次郎は、どんな時でもしっかりと自分の考えを述べることを大切にするようになった

そうだ。このような感覚を当時の日本で持ち合わせている人は、そうはいなかったのではないかと思う。…というか、今の日本でもそうか。

白洲次郎が、GHQとの最前線の交渉役に抜擢されたのも、そしてその責任を見事に果たせたのも、「海外で学ぶことで、日本人が外国人相手にどう接するべきか、身をもって体験していた」ことも大きいのだろうな。

次郎のように、教養があり、英国流の洗練された身のこなしをするジェントルマンがプリンシプルを貫くからこそ、その生き方はとてもかっこよくうつる。

4 男前

白洲次郎の写真を見て最初に驚いたのは、その端正な顔立ちだ。イケメンという今風の言葉で表現するには失礼だと思ってしまうほど、本当にハンサムで男前。

しかも、身長は180cmもあったそう。身だしなみにも気を遣っており、どの写真も、まるでモデルさんのようにかっこいい。


*画像出典:旧白洲邸 武相荘

「天は二物を与えず」というが、白洲次郎に限っては、「天は何物ほど彼に与えたんだろう…」と思ってしまう。

もし白洲次郎の容姿が、背が低く小太りだったら(自分のこと棚に上げて偉そうにすみません)、こんなにもみんなが憧れただろうか…この容姿端麗な部分も、多くの人が白洲次郎に憧れる一因ではないかと思う。

5 正子を妻に選んだ

これだけ男前で、英語も堪能、教養もあり、実家がお金持ち(後にお父さんの会社は倒産し苦労した時代もあったそうだ)だったら、妻となる女性は、選び放題だったに違いない。

また、当時の日本は「女性は男性の一歩後ろを歩くもの」という時代だろうし、美人で育ちがよく、男性の後ろに下がり男性を立てる家庭的な女性を選びそうなのに、それがまるで180度違う(って実際の正子さん知らないけれど)、正子という女性を選んだ。

正子は「女人禁制だった能の舞台に初めてあがった女性」として知られている。14歳でアメリカに留学し、在学中はスポーツにあけくれるなど、勝ち気で負けず嫌いな女性だったそうだ。

そんな2人は、正子が18歳、次郎が26歳のときに出逢った。お互いに一目惚れだった。この時代に、力強い生き方をする正子という女性を妻にするなんて、かっこ良すぎる。

6 無類のクルマ好き、ポルシェ好き

次郎は、無類のクルマ好きとして知られている。日本にいた頃は、アメリカの高級車に乗り、イギリス留学時には「ベントレー」や「ブガッティ」に乗り、休日にはこれらのクルマをサーキットに持ち込み、レース三昧だったようだ。

それにしても凄まじい金持ちやな…(*_*)

その次郎の様子を見た友人たちは、彼のことを「オイリー・ボーイ」と呼んだ。

そんな次郎が、晩年こよなく愛し乗っていたクルマが、ポルシェ911だ。クルマに詳しかった次郎は、80歳まで1968年式ポルシェ911S(2Lエンジンから1971年以降の911S用の2.4Lエンジンに換装)を乗り回し、軽井沢ゴルフクラブにも颯爽と姿を現していたそうだ。

また、次郎のクルマ愛は、これだけにとどまらない。それがよく分かる有名なエピソードがこちら。

トヨタは当時、日本車で初めて時速200kmの壁を越えたといわれる「初代ソアラ」を発売。白洲次郎はこれを購入、その出来に関して直接社長に手紙を書いたそうです。
「ハンドルの握りが太すぎる」「回転半径が大きすぎる」「パワーステアリングはもっと強力に」……。自分で改造もする彼だからこそのアドバイス。
当時の担当者に「かけがえのないクルマを目指せ」と伝えたそうです。そしてなんと、白洲次郎は自分の愛車であるポルシェ911をトヨタに寄贈。クルマづくりの参考にせよと、あげてしまったのでした。
あの「白洲次郎」が、愛車を手放した理由とは?

結局、2代目ソアラの完成を待たずして、83歳で次郎は亡くなってしまったが…いやはや、かっこよすぎてため息が出る。


*画像出典:旧白洲邸 武相荘

白洲次郎について調べるうちに、「こんな白洲次郎みたいな人が、今の日本の政治家にもいてくれたらいいのになぁ…」と、ぼんやり考えてしまった。

妻、白洲正子

ただ、白洲次郎に関して、女性であり妻である私がもう1つ感じるのは、「白洲次郎が自分の生き方を貫くことができたのは、妻である白洲正子の存在も大きかったのではないか」ということだ。

夫婦は互いに強い影響を受け合うものだと思うけれど、正子もまた、自分を貫き、自分の人生を生きた人だ。そんなパートナー正子の生き方は、きっと次郎にも大きな勇気を与えただろうと思う。

夫婦のあり方には色々な形があると思うし、お互いがHAPPYであればどんな形でも素晴らしいと思うけれど、私は、白洲夫妻のような、自立し、互いに高めあえる関係性に憧れる。私も少しでもそんな女性に近づけるように、日々精進したいなぁと改めて思った。

あ、なんか結局次郎じゃなくて正子の話で終わってしまったなw

*記事出典:旧白洲邸 武相荘

このブログが気に入ったらフォローしてね!

コメントを閉じる
  • コメント ( 2 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. ゴリ

    おはようございます。

    白州さん、名前は聞いたことあったけど、こうゆう方だとは知らなかったです。

    惚れますー!!!!!!!

    そして、正子さん、カッコよすぎるー!!!!!!!

    ミナさん夫婦は、自分の生き方を大事にしてるので、白州夫婦に似てると思いますよ!!!

    うちは、アカンですねー。。
    まず、嫁がぐーたらでいけてないので。

    こうゆう記事も楽しいですね。ありがとうございます。

    カイエンクーペ、私も欲しいです。。
    欲しい欲しい病で嫌になる。。

    • MinaMina

      ゴリさん
      おはようございます^^

      白洲夫妻、ほんとにかっこいいいですよねー
      こんなかっこいい夫婦がいるのだなーと、ほんとに理想だなと思っています。
      うちはまだまだですが、私も正子さんの爪の垢もらって(ってもらえへんですが)頑張りたいです^^

      ゴリさんのところも、お会いしたことないですが、
      イメージではすごくお似合いの夫婦で、ポルシェをたくさん乗られて、
      素敵やな〜と思っております^^

      あとカイエンクーペ、めっちゃかっこいいですよね。
      ほんとかっこいいです、ほしいですね笑